Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
この時代のマルス扱っている駅員さん、まさに職人!って感じで尊敬するわ
後ろで鳴ってる「てぃん……とぅん」という音は30年経っても変わらないのね
視覚障害者の方向けの案内音で規格が決まっているからです
眠くなる音
切符、お金、映像、全てに時代を感じます…
1982年から1987年まで某大手旅行会社でマルス端末を扱っていました。今から見れば信じられないほどの旧式ですが、当時はこの端末を扱っているのが嬉しかったです。
流れるような動き、そしてそろばん。こういう窓口で一日中見学したいですね。昔は(今も)憧れました。
繁忙期の列車の寝台券を買いに行くと、なかなか取れないこともあって窓口さんがしかめっ面でパタパタやってくれて、プリンター横のにある緑色のYESランプが点滅すると、窓口氏と自分で小さくガッツポーズしたのが懐かしい。バックカーボンになってる2枚写しの券辺が少しずつ出てくる間、帰省の足が確保できた嬉しい気持ちで御代を用意した昭和の後期。
コメント読んでて涙出そうでした。確かに昨今のチケレスも便利ですが、旅に出るワクワク感は減りましたね…
@@中小国渡 私の場合は東京から山陰地方への移動でして、昼行の直通列車は設定がありません。荷物が大きくなりがちな帰省時期ですと、直通夜行列車の寝台券が取れると取れないとの差は大きく、年末とかですと競争率5~10倍とも言われる争奪戦を勝ち抜けた嬉しさはひとしおでした。その後、プッシュホン予約という便利なものができ、早朝からみどりの窓口へ赴く煩わしさからは解放されました。
凄いですね。そろばん使っているところが懐かしいですね。本当職人な人いなくなりました。
ソロバンで計算する駅員さんがかっこいいだよ。発券までの手捌きが「鉄道マン」だわ。民営化後とは言えパタパタを使っているからまだ国鉄の名残がある頃だね
同じことを思いました。今は鉄道マンって思える人いないですね。ただのサラリーマン化してる。
今の駅員や乗務員は、鉄道マンというより、プログラマーという感じがします
バラで使えた時代の青春18きっぷ懐かしい。戻してくれないかな。
懐かしい!パタパタしてるところも見たかった。
懐かしいねぇ!昔はこういうのだったよねぇ
青春18切符で大学合格後のギリギリ18歳だった時から大阪駅から渋谷まで片道10時間掛けて一体どれだけ往復した事か。懐かし過ぎる。想い出だらけ。第二次ベビーブームの受験バブル世代に生まれたんで、とてつもない倍率で何とか奇跡的に一浪だけで19歳で大学合格してからは、春休み、夏休み、冬休み、GW、テスト休みなど1週間以上休み取れたら毎回往復して遊びまくってた。もう片道10時間掛けて乗り換え繰り返して乗るのは年齢的にしんどいから(笑)格安バスにすると思うけど、丁度この映像の年辺りは当時結構高齢の男女も含めて大人達も自分達若い人達もみんな使ってた。みんなも自分も電車内で時刻表と睨めっこしつつ、乗り換え時に次の電車の席取りへ同じホームの同じ電車へ全乗客達も猛ダッシュしてたのには初めて青春18切符で乗り継いだ時には思いっきりビックリして笑ったけど、自分も全速力で次の電車へ走った楽しかった想い出。笑あの頃1番安く遠距離移動出来る唯一の手段だったかな。深夜バスも結構な値段だったしチケットショップで2枚だけとかバラ売りを買ってた。勿論5枚綴りも買ったりしたけど本当にワクワク楽しい青春でした。この頃の自由だった時へ戻り、青春だけぎっしり詰まった18歳19歳辺りの毎日をしっかり噛み締めるから何もかも楽しかったあの青春へもう一度戻らせて欲しいです❗️青春してる時は誰も『俺、青春真っ只中なんや❗️めっちゃ最高やん❗️めっちゃ楽しいやん❗️』なんか誰も気付いてへん。青春は過ぎ去ってから分かるものと言うけどそんなんホンマに酷や😭❗️
夏目漱石のお札懐かしい…
大昔はYES NOが出るまでドキドキ
懐かしい映像だ。ページ式の機械が活躍していた頃によくキップを買ってました。また当時は駅の窓口に行かなくても、街中にある小さな旅行代理店でも、JR、航空券、船🚢等のキップも買えました。店ではブラウン管式の🖥でした。(60代)
こいつもブラウン管ですね。緑黒のモノクロ式w。まだカラー液晶なんて、シャープの携帯型小型テレビしかなかった時代、、、、。
この青年が手に握ってる千円の夏目漱石さんが懐かしく、今では手に入りにくいから貴重なのかも知れない
福澤さんも旧券ですしね。
言われてみればそうでしたね
へそくりの中に夏目さんが何人かいます。いざと言う時のためですが、いざと言う時、ホントに使えるのかなぁ
新渡戸稲造に見える
@@jappy1076福沢諭吉ですね
平成5年なんてついこの前のような気がするけど、すごい時代遅れの端末とそろばんには驚いた。まだそういう時代だったんだ。
小学校の頃そろばんを習いました。高校の時にWindows3.1が出てもう使いませんでしたw大学の頃に「インターネット」回線がダイヤルアップwで繋がりましたちなみに総合高校に居たので「商業」の科目を取って、帳簿はCOBOLでプログラミングするように習いましたがこれもまたつかいませんでした。Freeでじゅうぶんですかね。それとも弥生入れないとまずいかな。あ、ちなみにMacです。困ったな
この当時だとWindowa95もなくPC98もまだあった時代なので、こんなもんじゃないでしょうか。タッチパネルという概念がまだなく、それになったのは2000年ぐらいからですね。この後のものがマウスとキーボードで入力するもので、当時のデスクトップPCそのものでした。
ウィンドウズって何?っていう質問をパソコンオタクにしていました。当時、テロップを入れるのは、スーパーインポーズは、SONYのSMC9700を使って、CP/Mだかなんだかマイナーな原語で動かしていました。ビデオデッキはUマチックとEDベータが混在するというSONYのスタジオ。あ、これは家庭用の普及機のTR1000で撮られてますね。これを機にHi8のリニア編集機が入りましたHi8が全盛です。
逆に、93年から95年にかけての変化が凄まじいたった2年ほどで、今のICT社会の基礎がほぼ完成してしまったから。携帯電話:ドコモが93年にデジタル通話サービス開始、94年までに全メーカーが機種対応OS:MSがWindows95を95年8月リリース、日本語版同年11月リリース思えば93年までってバブルの残り香や昭和の価値観、アナログ文化があるんだけど、翌年の94年を境にそれらがガラッと変わった感覚、そしてその延長が今であるという感じがすごくする。93年は、91年にオープンしたジュリアナの全盛期だったけど翌94年に閉店。大卒の就職環境も93年までは言ってもバブル採用水準を引きずっていたが、94年からは一転氷河期が始まるし、リストラとか言われ始めたのも94年頃、深刻化しだしたのが95年だったと記憶。経済では94年に1ドルが100円割れているし、安全神話も95年の阪神大震災、地下鉄サリン事件で崩壊(年度ではいずれも94年度末)この時代を生きていた実感として、93年度から94年度にかけてって物凄い断絶観がある。感覚的には、93年度が昭和、バブル、戦後日本の最後の年、94年度が平成、失われた30年、情報革命、世紀末或いは21世紀の最初の年というイメージ。
な、今のは1枚で五回ぶんだぞ!!
そうだよね。現在は5日(人)分が1枚になってしまったのだよね。やはり5枚の方が良いよね。何かと便利だし。
TM TrainicMan 平成8年ぐらいに今の一枚で5回分になったらしいです、金券屋とか大学生協でバラ売りしていたのが当たり前だったようです
金券ショップが世の中に出回るようになり1枚だけ欲しいと言う人がJRで定価買い残り4枚を金券ショップに売ると言う人が増えた為この様に1枚の切符になったそうです、そのためJRでわなく多くの人が金券ショップに売り買うと言う人が増えたからだそうです。
1996年春の発売分から今の方式に変わりました。ちょうど大垣夜行が全車指定席の快速ムーンライトながらに変わった時からです。
この頃の駅やホームは凄いね。きっぷ販売はそろばん、キオスクは暗算。みんな頭良かったんだろうな
黄緑色のマルス券に時代を感じる、最近までは鶴見の中間改札で区間変更券で入手できたんですが…
旧千円札だねー
1993年ということは文字は今のに近いですが、券は本当の緑色の時代ですねぇ。1990年ぐらいまでは、細長い紙にプリンタで「ジーーーー!ジーーーー!」と音のするあの様式も多かったです。
ちょwwwwドットインパクトプリンターあの切符は伝票じゃあるまいしww嫌がらせでしたw
あの横に長い指定券の下から2列目ぐらいに印刷されるドットの羅列があるのだが、内容が謎すぎて何に使うか見当が付かない?
これなつかしいなあ ピン式と電略入力(ナコナコ(名古屋)→トミトウ(東京)か入力するやつ)とかいろいろあったな
確かに…。慣れて来ると、お客の方が、電略入力のしかたを覚えて、しまいに、「私が言った通りに打って❗シンカ・トミシヨB・ヨコハ・トウカ・トウホ・タカサ」みたいな…。(当然、駅員は憮然…。)
国鉄末期の昭和50年代後半に登場した端末ですね。定期券対応できたのがM2型、そうでないのがM型だったような記憶があります。他にもワイド、ミニ周遊券、各種フリーきっぷなどで、常備券を除いて券面に地図を入れることができるようになったのが、この端末からだったと思います。
マニアックな企画きっぷなんかを頼むと分厚いタリフを持ち出して、コード番号を探して駅員が集まって議論になる。今や端末で検索できる。懐かしいです。
千円札が夏目漱石さんでしたので時代を感じます!
ご名答w
These vintage Japanese machines look amazing
このような窓口での対面の券造及び発売自体がなくなりつつありますので、貴重な映像かと思われます。
今までみどりの窓口で発券の手続きで時間を食った時代から、技術の進歩で電子マネーSuicaなどで簡単にスピーディーに予約まで出来るから便利になったもんですね(笑)
プロジェクトXで放送していた端末機器だ~
マルス発券でないタイプの青春18きっぷ(確かピンク)もあって、大学の生協でばら売りを買って日帰り乗車に使っていました。
置き券ですね。地方の駅でまだ硬券があった頃は入手できましたね。ちなみにこの撮影の頃はまだまだ入手できました。
お札も夏目漱石500円玉も銀色懐かしい僕が生まれた時はまだ旧だったけど500円玉は1歳で金色にお札は5歳で現行の紙幣に変わる。時代ですね
今はスマホを使ってピンポイントで座席を取りますが、当時はどの席になるのか出るまで分からなかったので、あのパタパタがドキドキでした。(一応窓際とは伝えるが、通るかどうかもすぐに答えが出ない)
そ、そろばん。電卓じゃないのかぁ。
そうなのです。私は、みどりの窓口に行くと、窓口に、そろばんがあったことを覚えています。高校時代、定期券を買う時、この機械から発券していました。
さすがに、すでに簿記は電卓、店はレジの時代ですが。当時は駄菓子屋なんかにも計算が早いとレジを使わずにソロバンを愛用する人が居ました。独特の珠さばきをするんですよねぇ。
Rokusuke A 因みにうちの近くの路線バスの定期券売り場のおばちゃんは未だにそろばん使ってますよ!
私が社会人なりたての頃の上役がソロバンでした。お金を扱う方の矜恃なのかと。
私もこの動画の頃に経理にいて電卓でしたが上司は算盤派でした。確かに¥1,000,000入力だと算盤の方が絶対早い!😋
青春18きっぷは1981年の発売当初は確か4枚つづりで、うち2枚がそれぞれ2日間有効で、全部で8000円だったんだよな。当時は夜行鈍行がまだ各地にあったので、それに2日用券を使えた。その頃はマルスじゃなくて、予め用意された券辺に記入する販売方式だった。名称も「青春18のびのびきっぷ」だったので、ファンは「のびのぶきっぷ」って呼んでた。
2日間有効は1枚では…⁉️
@@新北投温泉 おっしゃる通り2日券が1枚、1日券が3枚の5日間有効でした。それに、初登場は昭和57年春だよ😉
この動画にある「ページ式マルス端末(というのか)」は、主要駅ではないみどりの窓口にけっこうあった。自動改札がそれほど一般的ではなく、横長の120ミリ券が幅を利かせていたはずだ。今や120ミリ券は18きっぷか寝台券、フリーパス系の「案内券」、マルス発券の回数券の「表紙」くらいじゃないかな。
マルスの端末には縁が無かったが、駅収端末のリリースに3.5インチFD100枚持って東日本圏内の駅のドサ回りに行ったのは懐かしい思い出。各駅の作業終了報告の電話に鉄道電話を使わないで、NTT電話を使うとあまり良い顔されない駅もあった。
某駅でNTTが泣いてますって意味不明の標語が受話器に貼ってありました。鉄道雑誌の電話番号にJRってのがあるのが凄く気になりますね、どうすれば加入できるのかw
@@RokusukeA 様JR社内システムの開発をしていたのが30年前でした。30年前の話をしますと、JR自体が専用回線持っていたので、日々のデータ転送等は専用回線を使用していました。鉄道電話も専用回線を使用していたので、鉄道電話→NTT電話、NTT電話→鉄道電話は繋がりませんでしたので一般の人の加入は出来ないと思います。鉄道関連の雑誌に鉄電の番号が載っている事を知らなかったです。
@@ki45_kai_Toryu_Nick 非電化線で架空してあるところを観察するとw信号用と、システム用、古典的なメタル電話回線とかがありましたよね。鉄道誌は各所にアポを取ったり先方から折り返してもらうのに便利なので、置いてありますとRJ詩の巻末コーナーに書いてあったことがありましたねー。東京のとあるエリアにはヘビーな協力会社には、JR回線が引けたとか、ナントカ。KDDIの前身ですかねーw昔の鉄道職員は施設名を鉄道電文符号で話すので困りますね、その昔浦和電車区でバイトしてたので、モセ(シモジュウゼウ)「下」十条、ゲホゲホ、いかんいかん
@@RokusukeA 様自分の在籍していた会社に鉄電は無かったですが、もしかしたら親会社(不忍池の畔にある)に鉄電は有ったかもしれないですね。管理職や役員は親会社から出向で来ていたので、上野~東京間の新幹線トンネル工事崩落時の話しをしてくれた課長もいましたし、もうちょいで感電○するところだったと笑いながら話す課長もいました。お客様だった会社もJRから分離独立したばかりだったので、JRから出向して来ている方々ばかりでしたね。一緒に仕事していた方々は、保線区、運転士、設計士(橋梁)の方々でしたが、専門用語が会話に出てきた記憶が無いです。(自分が忘れているだけかも?)
@@ki45_kai_Toryu_Nick さん。うちの近所に助役級(現・退職)の人が住んでいるのだが、個人宅に鉄電が引いてあった。線路から50m程度という立地もあってのことだと思うが。
誰かこういうテーマパークつくれ!
青春18切符が8000円の時代か…どれほど便利だったろうな…。
0:55「1万1300円ですねー」
8000は青春18のびのびきっぷじゃなかったかな?2日券があったから6日使えましたね
@@sunami808 ¥8,000は昭和57年春の18きっぷ初登場時のみ。おっしゃる通り1日券3枚+2日券1枚で5日間有効だった。同年夏の発売時は¥10,000に値上げしたけど1日券が1枚増えて6日間有効になった😉
今では転売が多発した為、一枚で5回分という無くしたら一巻の終わりな切符になってしまいました。残念です。
転売が流行る前には、金券屋の餌食になっていましたね。友人が帰省するのに、2枚とか買っていました
なつかしい
パタパタマルス、万歳。
漫画カレチでやってたやつだ!!!!!!!確か鉄道博物館で展示していたかのような・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釣り返すときわざと崩して、何枚あるかお互いに確認できるんですよね。
ぐぬぬ。たしかに、投げているようで、わざと崩してますね。マッハで客を捌く職人技。
昔の出札には、釣り銭投げて滑らせるのもいたな。
この春無人化された鳥取の宝木駅の方がそろばん使っていて、見とれた。
今ではネットで自分で発行(手続き)ですもんね。テクノロジーの進歩を感じます。
それだけ駅員が退化したとも
電報略号でやるから大変なんですよね
ピンが用意されてる駅はピンを指して、用意されていない駅は電略を入れますね。
このみどりの窓口は東、東海どっちの窓口なのでしょうか?
丸の内北口ですから、JR東日本ですよー
5枚綴りの方が良かったですね。昔、名古屋で4回目に当日のスタンプあるのに5回目を押されたり、他の件のスタンプが滲んだだけなのに押すのを拒否されたりしましたわ。
夏目漱石の千円札も懐かしいな
万券の人物がやっと変わりますね、、、、でも福沢万券も初代w
@@RokusukeA 聖徳太子の1万円札ありませんでしたっけ?
ちょ、、、、、ショウトクタイシ(崩壊)今年で上半期で一番面白いですwwww
@@RokusukeA 私もほとんど見たことないですけどね
@@MT-qi9dj ちいさい頃に、おおきな買い物をするときにおじいちゃんが使ってたのを微かに覚えています。
この頃から改札誘導音ってあったんだ
昭和の頃wからあった気がしますよ
盲導鈴なら昭和の頃からありましたよ。
5枚つづりの時代も、青春18きっぷは自動改札未対応でしたか?大きさを見るとそう感じます。
もちろんこの時代非対応ですが。0:50台紙が灰色に見えるのでそもそも磁気券では無いと思われます。
ありがとうございます。この時代、磁気券は裏面が茶色(低保磁券らしいです)のものも多く存在したそうですね。
この頃の方が早かったような。気がするのは気のせいかな
早かったですよ!
@@RokusukeA 色々日本を苦しめるために上の連中が改悪したわけだ…
@@レリゴーレリゴー はへ?😜
令和になると、端末がデジタル化していく。😢
そしてセルフ発券⇒スマホに
5枚綴り懐かしいなぁ
そろばんにびっくり😲
まだ使えないけどいいか?って聞こえる
期限前から購入できます?
利用期間に対して、10日ほど前から発売され始めて、利用期間終了の10日ほど前には販売が終わります。ほぼパターンになってますが、必ず鉄道会社のプレスリリースや案内、広告などで、確認してください。
おー昔は一枚ずつだったのか
お金を受け取る前に切符を差し出してる扱い上ちょっと危険な気がする🤔
この青年は主ですか?
25年前の主です
小銭の返し方雑で草
あれはわざとバラして寄越すことで、客に釣り銭が幾らあるのかを一目瞭然に見せることで、滞留時間を短縮しているんですよ。
今晩は国鉄時代青春拾八十切符は
はへ?😜
18きっぷ
5回か? 周り!?
M型だ
マルスM型❗
えーん、パタパタが何か分からない
この時代のマルス扱っている駅員さん、まさに職人!って感じで尊敬するわ
後ろで鳴ってる「てぃん……とぅん」という音は30年経っても変わらないのね
視覚障害者の方向けの案内音で規格が決まっているからです
眠くなる音
切符、お金、映像、全てに時代を感じます…
1982年から1987年まで某大手旅行会社でマルス端末を扱っていました。今から見れば信じられないほどの旧式ですが、当時はこの端末を扱っているのが嬉しかったです。
流れるような動き、そしてそろばん。こういう窓口で一日中見学したいですね。昔は(今も)憧れました。
繁忙期の列車の寝台券を買いに行くと、なかなか取れないこともあって窓口さんがしかめっ面でパタパタやってくれて、プリンター横のにある緑色のYESランプが点滅すると、窓口氏と自分で小さくガッツポーズしたのが懐かしい。
バックカーボンになってる2枚写しの券辺が少しずつ出てくる間、帰省の足が確保できた嬉しい気持ちで御代を用意した昭和の後期。
コメント読んでて涙出そうでした。確かに昨今のチケレスも便利ですが、旅に出るワクワク感は減りましたね…
@@中小国渡
私の場合は東京から山陰地方への移動でして、昼行の直通列車は設定がありません。
荷物が大きくなりがちな帰省時期ですと、直通夜行列車の寝台券が取れると取れないとの差は大きく、年末とかですと競争率5~10倍とも言われる争奪戦を勝ち抜けた嬉しさはひとしおでした。
その後、プッシュホン予約という便利なものができ、早朝からみどりの窓口へ赴く煩わしさからは解放されました。
凄いですね。そろばん使っているところが懐かしいですね。本当職人な人いなくなりました。
ソロバンで計算する駅員さんがかっこいいだよ。発券までの手捌きが「鉄道マン」だわ。民営化後とは言えパタパタを使っているからまだ国鉄の名残がある頃だね
同じことを思いました。今は鉄道マンって思える人いないですね。ただのサラリーマン化してる。
今の駅員や乗務員は、鉄道マンというより、プログラマーという感じがします
バラで使えた時代の青春18きっぷ懐かしい。
戻してくれないかな。
懐かしい!
パタパタしてるところも見たかった。
懐かしいねぇ!
昔はこういうのだったよねぇ
青春18切符で大学合格後のギリギリ18歳だった時から大阪駅から渋谷まで片道10時間掛けて一体どれだけ往復した事か。懐かし過ぎる。想い出だらけ。
第二次ベビーブームの受験バブル世代に生まれたんで、とてつもない倍率で何とか奇跡的に一浪だけで19歳で大学合格してからは、春休み、夏休み、冬休み、GW、テスト休みなど1週間以上休み取れたら毎回往復して遊びまくってた。
もう片道10時間掛けて乗り換え繰り返して乗るのは年齢的にしんどいから(笑)格安バスにすると思うけど、丁度この映像の年辺りは当時結構高齢の男女も含めて大人達も自分達若い人達もみんな使ってた。みんなも自分も電車内で時刻表と睨めっこしつつ、乗り換え時に次の電車の席取りへ同じホームの同じ電車へ全乗客達も猛ダッシュしてたのには初めて青春18切符で乗り継いだ時には思いっきりビックリして笑ったけど、自分も全速力で次の電車へ走った楽しかった想い出。笑
あの頃1番安く遠距離移動出来る唯一の手段だったかな。深夜バスも結構な値段だったしチケットショップで2枚だけとかバラ売りを買ってた。勿論5枚綴りも買ったりしたけど本当にワクワク楽しい青春でした。
この頃の自由だった時へ戻り、青春だけぎっしり詰まった18歳19歳辺りの毎日をしっかり噛み締めるから何もかも楽しかったあの青春へもう一度戻らせて欲しいです❗️
青春してる時は誰も『俺、青春真っ只中なんや❗️めっちゃ最高やん❗️めっちゃ楽しいやん❗️』なんか誰も気付いてへん。
青春は過ぎ去ってから分かるものと言うけどそんなんホンマに酷や😭❗️
夏目漱石のお札懐かしい…
大昔は
YES NOが
出るまでドキドキ
懐かしい映像だ。ページ式の機械が活躍していた頃によくキップを買ってました。また当時は駅の窓口に行かなくても、街中にある小さな旅行代理店でも、JR、航空券、船🚢等のキップも買えました。店ではブラウン管式の🖥でした。(60代)
こいつもブラウン管ですね。緑黒のモノクロ式w。まだカラー液晶なんて、シャープの携帯型小型テレビしかなかった時代、、、、。
この青年が手に握ってる千円の夏目漱石さんが懐かしく、今では手に入りにくいから貴重なのかも知れない
福澤さんも旧券ですしね。
言われてみればそうでしたね
へそくりの中に夏目さんが何人かいます。いざと言う時のためですが、いざと言う時、ホントに使えるのかなぁ
新渡戸稲造に見える
@@jappy1076
福沢諭吉ですね
平成5年なんてついこの前のような気がするけど、すごい時代遅れの端末とそろばんには
驚いた。まだそういう時代だったんだ。
小学校の頃そろばんを習いました。
高校の時にWindows3.1が出てもう使いませんでしたw
大学の頃に「インターネット」回線がダイヤルアップwで繋がりました
ちなみに総合高校に居たので
「商業」の科目を取って、帳簿はCOBOLでプログラミングするように習いましたが
これもまたつかいませんでした。
Freeでじゅうぶんですかね。それとも弥生入れないとまずいかな。
あ、ちなみにMacです。困ったな
この当時だとWindowa95もなくPC98もまだあった時代なので、こんなもんじゃないでしょうか。
タッチパネルという概念がまだなく、それになったのは2000年ぐらいからですね。
この後のものがマウスとキーボードで入力するもので、当時のデスクトップPCそのものでした。
ウィンドウズって何?っていう質問をパソコンオタクにしていました。
当時、テロップを入れるのは、スーパーインポーズは、SONYのSMC9700を使って、CP/Mだかなんだかマイナーな原語で動かしていました。ビデオデッキはUマチックとEDベータが混在するというSONYのスタジオ。あ、これは家庭用の普及機のTR1000で撮られてますね。これを機にHi8のリニア編集機が入りましたHi8が全盛です。
逆に、93年から95年にかけての変化が凄まじい
たった2年ほどで、今のICT社会の基礎がほぼ完成してしまったから。
携帯電話:ドコモが93年にデジタル通話サービス開始、94年までに全メーカーが機種対応
OS:MSがWindows95を95年8月リリース、日本語版同年11月リリース
思えば93年までってバブルの残り香や昭和の価値観、アナログ文化があるんだけど、
翌年の94年を境にそれらがガラッと変わった感覚、そしてその延長が今であるという感じがすごくする。
93年は、91年にオープンしたジュリアナの全盛期だったけど翌94年に閉店。
大卒の就職環境も93年までは言ってもバブル採用水準を引きずっていたが、94年からは一転氷河期が始まるし、
リストラとか言われ始めたのも94年頃、深刻化しだしたのが95年だったと記憶。
経済では94年に1ドルが100円割れているし、安全神話も95年の阪神大震災、地下鉄サリン事件で
崩壊(年度ではいずれも94年度末)
この時代を生きていた実感として、93年度から94年度にかけてって物凄い断絶観がある。
感覚的には、93年度が昭和、バブル、戦後日本の最後の年、
94年度が平成、失われた30年、情報革命、世紀末或いは21世紀の最初の年というイメージ。
な、今のは1枚で五回ぶんだぞ!!
そうだよね。現在は5日(人)分が1枚になってしまったのだよね。やはり5枚の方が良いよね。何かと便利だし。
TM TrainicMan 平成8年ぐらいに今の一枚で5回分になったらしいです、金券屋とか大学生協でバラ売りしていたのが当たり前だったようです
金券ショップが世の中に出回るようになり1枚だけ欲しいと言う人がJRで定価買い残り4枚を金券ショップに売ると言う人が増えた為この様に1枚の切符になったそうです、そのためJRでわなく多くの人が金券ショップに売り買うと言う人が増えたからだそうです。
1996年春の発売分から今の方式に変わりました。
ちょうど大垣夜行が全車指定席の快速ムーンライトながらに変わった時からです。
この頃の駅やホームは凄いね。きっぷ販売はそろばん、キオスクは暗算。みんな頭良かったんだろうな
黄緑色のマルス券に時代を感じる、最近までは鶴見の中間改札で区間変更券で入手できたんですが…
旧千円札だねー
1993年ということは文字は今のに近いですが、券は本当の緑色の時代ですねぇ。
1990年ぐらいまでは、細長い紙にプリンタで「ジーーーー!ジーーーー!」と音のするあの様式も多かったです。
ちょwwww
ドットインパクトプリンター
あの切符は伝票じゃあるまいしww嫌がらせでしたw
あの横に長い指定券の下から2列目ぐらいに印刷されるドットの羅列があるのだが、内容が謎すぎて何に使うか見当が付かない?
これなつかしいなあ ピン式と電略入力(ナコナコ(名古屋)→トミトウ(東京)か入力するやつ
)とかいろいろあったな
確かに…。慣れて来ると、お客の方が、電略入力のしかたを覚えて、しまいに、「私が言った通りに打って❗シンカ・トミシヨB・ヨコハ・トウカ・トウホ・タカサ」みたいな…。(当然、駅員は憮然…。)
国鉄末期の昭和50年代後半に登場した端末ですね。
定期券対応できたのがM2型、そうでないのがM型だったような記憶があります。
他にもワイド、ミニ周遊券、各種フリーきっぷなどで、常備券を除いて
券面に地図を入れることができるようになったのが、この端末からだったと思います。
マニアックな企画きっぷなんかを頼むと分厚いタリフを持ち出して、コード番号を探して駅員が集まって議論になる。今や端末で検索できる。懐かしいです。
千円札が夏目漱石さんでしたので時代を感じます!
ご名答w
These vintage Japanese machines look amazing
このような窓口での対面の券造及び発売自体がなくなりつつありますので、貴重な映像かと思われます。
今までみどりの窓口で発券の手続きで時間を食った時代から、技術の進歩で電子マネーSuicaなどで簡単にスピーディーに予約まで出来るから便利になったもんですね(笑)
プロジェクトXで放送していた端末機器だ~
マルス発券でないタイプの青春18きっぷ(確かピンク)もあって、大学の生協でばら売りを買って日帰り乗車に使っていました。
置き券ですね。地方の駅でまだ硬券があった頃は入手できましたね。ちなみにこの撮影の頃はまだまだ入手できました。
お札も夏目漱石500円玉も銀色懐かしい僕が生まれた時はまだ旧だったけど500円玉は1歳で金色にお札は5歳で現行の紙幣に変わる。時代ですね
今はスマホを使ってピンポイントで座席を取りますが、当時はどの席になるのか出るまで分からなかったので、あのパタパタがドキドキでした。(一応窓際とは伝えるが、通るかどうかもすぐに答えが出ない)
そ、そろばん。
電卓じゃないのかぁ。
そうなのです。私は、みどりの窓口に行くと、窓口に、そろばんがあったことを覚えています。高校時代、定期券を買う時、この機械から発券していました。
さすがに、すでに簿記は電卓、店はレジの時代ですが。当時は駄菓子屋なんかにも計算が早いとレジを使わずにソロバンを愛用する人が居ました。独特の珠さばきをするんですよねぇ。
Rokusuke A 因みにうちの近くの路線バスの定期券売り場のおばちゃんは未だにそろばん使ってますよ!
私が社会人なりたての頃の上役がソロバンでした。お金を扱う方の矜恃なのかと。
私もこの動画の頃に経理にいて電卓でしたが上司は算盤派でした。確かに¥1,000,000入力だと算盤の方が絶対早い!😋
青春18きっぷは1981年の発売当初は確か4枚つづりで、うち2枚がそれぞれ2日間有効で、全部で8000円だったんだよな。
当時は夜行鈍行がまだ各地にあったので、それに2日用券を使えた。
その頃はマルスじゃなくて、予め用意された券辺に記入する販売方式だった。
名称も「青春18のびのびきっぷ」だったので、ファンは「のびのぶきっぷ」って呼んでた。
2日間有効は1枚では…⁉️
@@新北投温泉 おっしゃる通り2日券が1枚、1日券が3枚の5日間有効でした。それに、初登場は昭和57年春だよ😉
この動画にある「ページ式マルス端末(というのか)」は、主要駅ではないみどりの窓口にけっこうあった。自動改札がそれほど一般的ではなく、横長の120ミリ券が幅を利かせていたはずだ。今や120ミリ券は18きっぷか寝台券、フリーパス系の「案内券」、マルス発券の回数券の「表紙」くらいじゃないかな。
マルスの端末には縁が無かったが、駅収端末のリリースに3.5インチFD100枚持って東日本圏内の駅のドサ回りに行ったのは懐かしい思い出。
各駅の作業終了報告の電話に鉄道電話を使わないで、NTT電話を使うとあまり良い顔されない駅もあった。
某駅でNTTが泣いてますって意味不明の標語が受話器に貼ってありました。鉄道雑誌の電話番号にJRってのがあるのが凄く気になりますね、どうすれば加入できるのかw
@@RokusukeA 様
JR社内システムの開発をしていたのが30年前でした。
30年前の話をしますと、JR自体が専用回線持っていたので、日々のデータ転送等は専用回線を使用していました。
鉄道電話も専用回線を使用していたので、鉄道電話→NTT電話、NTT電話→鉄道電話は繋がりませんでしたので一般の人の加入は出来ないと思います。
鉄道関連の雑誌に鉄電の番号が載っている事を知らなかったです。
@@ki45_kai_Toryu_Nick
非電化線で架空してあるところを観察するとw信号用と、システム用、古典的なメタル電話回線とかがありましたよね。
鉄道誌は各所にアポを取ったり先方から折り返してもらうのに便利なので、置いてありますとRJ詩の巻末コーナーに書いてあったことがありましたねー。東京のとあるエリアにはヘビーな協力会社には、JR回線が引けたとか、ナントカ。KDDIの前身ですかねーw
昔の鉄道職員は施設名を鉄道電文符号で話すので困りますね、その昔浦和電車区でバイトしてたので、モセ(シモジュウゼウ)「下」十条、
ゲホゲホ、いかんいかん
@@RokusukeA 様
自分の在籍していた会社に鉄電は無かったですが、もしかしたら親会社(不忍池の畔にある)に鉄電は有ったかもしれないですね。
管理職や役員は親会社から出向で来ていたので、上野~東京間の新幹線トンネル工事崩落時の話しをしてくれた課長もいましたし、もうちょいで感電○するところだったと笑いながら話す課長もいました。
お客様だった会社もJRから分離独立したばかりだったので、JRから出向して来ている方々ばかりでしたね。
一緒に仕事していた方々は、保線区、運転士、設計士(橋梁)の方々でしたが、専門用語が会話に出てきた記憶が無いです。(自分が忘れているだけかも?)
@@ki45_kai_Toryu_Nick さん。
うちの近所に助役級(現・退職)の人が住んでいるのだが、個人宅に鉄電が引いてあった。
線路から50m程度という立地もあってのことだと思うが。
誰かこういうテーマパークつくれ!
青春18切符が8000円の時代か…
どれほど便利だったろうな…。
0:55
「1万1300円ですねー」
8000は青春18のびのびきっぷじゃなかったかな?2日券があったから6日使えましたね
@@sunami808 ¥8,000は昭和57年春の18きっぷ初登場時のみ。おっしゃる通り1日券3枚+2日券1枚で5日間有効だった。同年夏の発売時は¥10,000に値上げしたけど1日券が1枚増えて6日間有効になった😉
今では転売が多発した為、一枚で5回分という無くしたら一巻の終わりな切符になってしまいました。残念です。
転売が流行る前には、金券屋の餌食になっていましたね。友人が帰省するのに、2枚とか買っていました
なつかしい
パタパタマルス、万歳。
漫画カレチでやってたやつだ!!!!!!!
確か鉄道博物館で展示していたかのような・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釣り返すときわざと崩して、何枚あるかお互いに確認できるんですよね。
ぐぬぬ。たしかに、投げているようで、わざと崩してますね。マッハで客を捌く職人技。
昔の出札には、釣り銭投げて滑らせるのもいたな。
この春無人化された鳥取の宝木駅の方がそろばん使っていて、見とれた。
今ではネットで自分で発行(手続き)ですもんね。
テクノロジーの進歩を感じます。
それだけ駅員が退化したとも
電報略号でやるから大変なんですよね
ピンが用意されてる駅はピンを指して、用意されていない駅は電略を入れますね。
このみどりの窓口は東、東海どっちの窓口なのでしょうか?
丸の内北口ですから、JR東日本ですよー
5枚綴りの方が良かったですね。昔、名古屋で4回目に当日のスタンプあるのに5回目を押されたり、他の件のスタンプが滲んだだけなのに押すのを拒否されたりしましたわ。
夏目漱石の千円札も懐かしいな
万券の人物がやっと変わりますね、、、、でも福沢万券も初代w
@@RokusukeA
聖徳太子の1万円札ありませんでしたっけ?
ちょ、、、、、
ショウトクタイシ
(崩壊)
今年で上半期で一番面白いですwwww
@@RokusukeA
私もほとんど見たことないですけどね
@@MT-qi9dj
ちいさい頃に、おおきな買い物をするときにおじいちゃんが使ってたのを微かに覚えています。
この頃から改札誘導音ってあったんだ
昭和の頃wからあった気がしますよ
盲導鈴なら昭和の頃からありましたよ。
5枚つづりの時代も、青春18きっぷは自動改札未対応でしたか?大きさを見るとそう感じます。
もちろんこの時代非対応ですが。
0:50台紙が灰色に見えるのでそもそも磁気券では無いと思われます。
ありがとうございます。
この時代、磁気券は裏面が茶色(低保磁券らしいです)のものも多く存在したそうですね。
この頃の方が早かったような。気がするのは気のせいかな
早かったですよ!
@@RokusukeA
色々日本を苦しめるために上の連中が改悪したわけだ…
@@レリゴーレリゴー はへ?😜
令和になると、端末がデジタル化していく。😢
そしてセルフ発券⇒スマホに
5枚綴り懐かしいなぁ
そろばんにびっくり😲
まだ使えないけどいいか?
って聞こえる
期限前から購入できます?
利用期間に対して、10日ほど前から発売され始めて、利用期間終了の10日ほど前には販売が終わります。
ほぼパターンになってますが、必ず鉄道会社のプレスリリースや案内、広告などで、確認してください。
おー昔は一枚ずつだったのか
お金を受け取る前に切符を差し出してる
扱い上ちょっと危険な気がする🤔
この青年は主ですか?
25年前の主です
小銭の返し方雑で草
あれはわざとバラして寄越すことで、客に釣り銭が幾らあるのかを一目瞭然に見せることで、滞留時間を短縮しているんですよ。
今晩は国鉄時代青春拾八十切符は
はへ?😜
18きっぷ
5回か? 周り!?
M型だ
マルスM型❗
えーん、パタパタが何か分からない